姫王と最後の騎士団の現代的意義について

姫王と最後の騎士団が好きです。スマートフォンを持つようになってからというもの、こればかりやっているような気がします。スマホでは、メールやSNS、ネット検索など便利なことが色々とできますが、私にとってスマホの魅力はこのゲームに尽きます。

どうして私はこんなにもこのゲームが好きなのだろう。そんな疑問にときどきふと襲われることがあります。ゲームなんて所詮は仮想現実にすぎないというのに。ゲームでいくら高得点を稼ぎだしても現実生活には何の役にも立たないというのに。しかし、どうして私たちはかくもゲームに夢中になってしまうのでしょうか?

私たちがこのゲームにハマってしまう理由、その一つとして、このゲームの中でなら主人公として振る舞えるから、というのが挙げられると思います。現実生活では、たいていの人は誰かの下っ端として生きています。子供は親の下っ端ですし、学生は教師の下っ端ですし、会社員は会社や上司の下っ端です。家庭や学校、会社の複雑な人間関係に絡み取られて、自分の思うとおりに振る舞うことは許されません。言いたいことがあっても、ぐっと我慢して、波風立てないようにして生きています。もっとも、生きるってそういうことだから、そのことについて文句が言いたいわけではありません。

私が思うのは、そんなふうに自分を押し殺して生きている私たちだからこそ、自分自身が主人公として振る舞えるゲームが心地良いのではないかということです。誰の手下でもない人生をゲームの中でなら生きることができるのです。そんな解放感があるからこそ、私たちはゲームに夢中になってしまうのではないでしょうか?姫王と最後の騎士団は、世知辛いリアルライフからのちょっとしたアジール(避難所)なのです。

偉い学者さんが言っていましたが、現代は管理社会化が進んで、昔の社会にはあったような息抜きのためのアジールがないそうです。社会の隅々まで監視の目が及んで、息つく暇もないのが現在の社会です。だらこそ、私たちはゲームという仮想現実に逃げ込んでしまうのかもしれません。そんなことをなんとなく思う今日このごろです。